機会均等の世界をつくる。

自分が生まれた意味について考えたとき、自分は「機会均等の世界」を作りたいと思った。

機会均等とよく似た考え方に「結果の平等」というものがある。

例えば、日本人なら全員が東京大学を受験できるが、全員が合格する訳じゃない。つまり、結果は平等ではない。また他にも、運動会の徒競走ではスタートラインには全員が立てても、1位になるのはたったの1人だけだ。

これらが機会の均等と結果の平等についてを上手く示した例であると考えている。全員、チャンスは与えられているが結果が同じである訳ではない。私は、挑戦する機会が均等に与えらえれていることが最も重要だと考えている。

話を医療に変えると、今、病院にいける人間がより高度な医療を受けられるようになるのも確かに重要だが、自分は今病院にいけない人が病院にいける仕組みを作りたい。日本では完治する病が、他の国では死に至る病だとされているケースが多分にある。

私は、人間が人間の運命に介入することに関しては何か思わない訳ではないが、人が死んで喜ぶ人などいない。愛する人がそんな状況になってしまったら、今日も生き延びて、明日も生き延びて、ずっと生きていて欲しいと願ってしまう。エゴなんだろう。でも、それが自分であり、人なんだろう。だから、延命させることが出来る命については、延命させることが、もはや現代における運命なんじゃないかと思ったりもしている。

とにかく自分は恵まれすぎた環境でうまれ育ったから、もう欲しいものなど何もないし、求めれば大抵のものは手に入ると悟ってしまった。だから、自分の一生では成し遂げられないくらい大きなビジョンを掲げている。自分が無理でも、私の後に残された人々が私の意志をついでくれれば、いつの日か機会の均等は実現できると思っている。

だから私は今日を生きている。自分の今日が、顔も知らない数百年後の誰かの笑い顔を作っているはずだと信じて今日も生きている。

機会均等の世界を作る。これは私のミッションであり、揺るぎない人生のビジョンである。